私と英子は再び「イザベラ亭」へ向かった。英子は物凄く気だるそうで、数歩進む度に「お昼寝してない」とぼやく。彼女は食事の後に必ず寝ないと駄目だ。赤ちゃんか。
私は勢いよく店の引き戸を開放し、「いらっしゃいました! 次郎さん、ちょっといいかしら」と、いきなり次郎へ本題を持ちかけた。すると次郎は女性限定イベントに同意し、協力する意思を見せてくれた。
「流石、次郎さんね。そんなにイザベラに触れて欲しくないのね」
「いや……へへ。ちょっと、興味が湧いちゃったからね」
私たちは協議し、女性限定イベントの日取りを決めたところでルーダスへメールで伝えた。するとルーダスは二つ返事で承諾し、「食事会が楽しみです」などと返信を寄越してきた。
この時点で断らないならば、ルーダスが女である可能性が限りなく高い。だけど、いずれにしても現れなければ意味がなく、「いたずら」である可能性も捨てがたい。とにかく、あらゆる展開を想定しておく必要がある。
私は大雑把に風花へ事情を説明し、「大事なイベントだから、気合い入れてちょうだい」と言った。すると彼女は途端に大汗をかき、震えだした。緊張しているのだろうか。
私はため息を吐き、わざとらしく額に指を添えた。すると、風花の口からとんでもない発言が飛び出した。
「もし、ルーダスが殺し屋とかだったら……どうするのでありますか!?」
思わぬ風花の台詞に驚いたのか、英子は小さく声を上げ、次郎は持っていた包丁を落とし、天狗の面までも傾いてしまった。
ルーダスは『黄金大戦』の第三巻を探してる人間を殺して回っている……?
いくら何でも馬鹿馬鹿しい。そのようなことがあるわけがない。あるわけがないのだが、次郎まで「お二方がうちへ来なくなったら、察しろ、と……」などと言い出す始末。たちの悪い冗談だ。
私は言った。「何の根拠もなし! やめてちょうだい。大体ね、どこぞの都市伝説じゃあるまいし……どうして第三巻を持ってるだけで殺されなくちゃならないわけ? おかしいでしょうが」
風花は、つま先立ちで天狗の面の向きを直していた。私は彼女の背中に向かって「風花、余計な不安を煽ったら許さないわよ」と言った。すると、彼女はつま先立ちのまま慌てた様子で振り向き、「『悪魔の本』の話を知らないのでありますか!」と言い出した。
ここ赤桜町には古くから語り継がれてる伝説がある。それが『悪魔の本』の伝説だ。持っているだけで不幸が訪れるらしい。
その内容は至って普通のミステリーだそうだが、所有主に次々と不幸が降りかかったらしく、それが原因で発禁となったらしい。執筆した作家や編集担当にも不幸が降りかかったらしく、その末に自殺したらしい。らしい。らしい。とにかく、らしい。
過去に『悪魔の本』について散々と調べたのだが、大した情報を発掘することはできなかった。つまり、これはただの子供騙し。恐らく、本が嫌いな子供が本を読まなくても済むように広めた噂ではないかと、私は勝手に想像している。
そもそも、その『悪魔の本』の作家がどこの誰なのか不明だし、それは出版社も同様。やはり、噂はただの噂。私は下らない噂話が大嫌いだ。デマを広める連中は万死に値する。
「下らない噂話に振り回される人間が一番不幸なのだ! 異を唱えるならば、確固たる証拠を持ってきなさい。証拠がないなら、デマ拡散禁止。と言うわけで、貴様は黙りなさい。はい、以上!」 と、私は特大の釘を刺すように言った。それでも風花は、
「だってだって! 私の知人の友人の親戚のおばちゃんが『悪魔の本』を偶然手に入れて死んじゃったらしいんすよ!」
私は風花に歩み寄り、彼女のほっぺたを左右から押しながら「それは証拠どころか、曖昧で朧気な噂でしかないのだよ。そんな物はデマなのだ。デマ。分かったわね」
今度は英子が淡々と語り始めた。
「『悪魔の本』はね、元々はただの日記帳だったらしいの。所有者が不幸を体験する度、その内容を追記していくらしいのよね。不幸が不幸を呼び、『悪魔の本』は次々と所有者を変えて生き続ける。いずれ、人類は全て『悪魔の本』に食べられちゃうかもね」
英子はこの手の話が大好きだけど、私は毎度、話半分に聞き流している。
よしんば『悪魔の本』を所有した人間が死ぬとしても、恐らく生まれてくる人間の方が遙かに数が多いと思う。何冊? 何十冊? 何千冊? 一体、どれだけの数の『悪魔の本』を用意すれば人類が滅ぶのか。印刷屋だってパンクしてしまうだろうし、あり得ない話だ。
英子の話を聞いた風花が得意げに、ほらどうですか、と言わんばかりに目を見開き、大きく頷いている。
私は風花の肩を抱き、「風花……だから、おかしいでしょうって。大体、その『悪魔の本』の話題がどうして出てくるのか説明なさい」
確かに、第三巻は「不思議な本」には違いない。違いないが、第三巻が「人を殺す」などと荒唐無稽だ。『悪魔の本』はただのおとぎ話だけど、第三巻は確かに存在する……はず。
第三巻で不幸になるとしたら、せいぜい「やっぱりつまらなかった。読んで損した」と、落胆する瞬間だろう。実は面白い物語なのかも知れないが、私は全く期待してない。英子のため、仕方なく探してるだけだ。
その意味はさておき、いつぞや英子に言われた。
「求める物は、全て涼子から出てくる」と。
(続く)
謎の「黄金大戦」第3巻に加え都市伝説の「悪魔の本」が登場してきた。これで謎がまたまた広がりミステリアスな展開になってきました。涼子と英子の人間関係もまだ曖昧だがなぜに同居し共に暮らしているのかということへの興味も湧いてきて今後の展開に期待大だ。