本棚を眺めてると、物凄くどうでもいいことに気が付いてしまった。
「何故に第三巻だけ抜けているのだ……」
私は『黄金大戦』の第一巻を手に取り、適当にページをめくった。捨ててしまっても構わない気がするけど……
少しだけ声量を上げ、言ってみた。「何故に第三巻だけ抜けているのだ」
些細なことで悩み、苦しみたくない。どうでもいいことに脳を使いたくない。
例えば、左右の靴下の色が違う人間を朝から見てしまえば、その日は台無し。あるいはシャツの裏表が逆だったり、上下逆さまだったり……とにかく、私が日頃から抱いてる「平均的な常識」から少しでも外れていると気になって仕方がない。
彼女は、私より遙かにおかしい。例えば、単行本は第一巻から順に読んでいく物だ。でも彼女は、最終巻から読み始める。このような読み方で物語を把握できるのだろうか。絶対、私には無理だ。
これで三回目。ひときわ大きな声で言ってみた。「何故に第三巻だけ抜けているのだ!!」
彼女がけだるそうに、「知らぬ」
「ちょっと! 大事な話なんだから真面目に聞きなさい。おかしいでしょうが。どうせなら、全巻揃えてちょうだい」
ベッドの上に横たわる「でかい饅頭」を叩き、揺すった。すると中から手が伸び、「あれを捧げるのよ」
飲みかけのスポーツドリンクを手渡してみた。すると、そのまま中に持ち込み、のどを鳴らして一気に飲み干してしまった。
今度は手探りで床をまさぐり、探しているそれが見つからないと分かると、嫌そうに頭を出した。
彼女は床に落ちていた眼鏡を拾い上げ、言った。「第三巻は冒険中なのよ」
私は、「第三巻がないと気になるでしょうが。一応、全巻揃えたい。冒険の途中で申し訳ないけど、呼び戻して」
「凉子が小説を読むなんて珍しいわね」と、小説を持ち込んだ張本人が言う。
「珍しいも何も……じゃあ、どうしてこれを私にくれたのよ。説明なさい。英子なら、理路整然と説明できるはずよね」
すると彼女は大きな眼をくるくる回し、「第三巻がないから」
まず全巻を揃え、それから最終巻から読む。誰が見ても変な彼女なのに、「歯抜け」は気に入らないらしい。確かに、こだわりは人により様々だけど。
彼女は「探したんだけどね。どこにもなくて。だから、読むの諦めちゃった」と、大あくび。
私は彼女のこめかみを押さえ付け、「手伝うから、第三巻を探しなさい」すると彼女は私の下唇をつまみ、「うん。後でね。ちょっと、書き上げたいから……」
英子は素っ裸のままベッドから降りると、パソコンに火を入れた。
私は「何か着なさい」と言った。すると彼女は私からシャツとパンツを奪った。今度は私が素っ裸だ。
「タンスから出しなさいって」
「洗濯物、増えなくていいじゃない」
「そういう問題と違う!」
彼女が一日中裸で過ごすことは珍しくない。よく分からないのが、「どこにも行く予定がなければ裸が一番いいのよ。エコロジーでしょ」と、妙な理屈をのたまう。
私が「でも、大体ちょっとは外へ出るでしょうに」と言うと、「じゃあ、その時に着ればいいじゃない」と来る。単に彼女は物臭で、可能な限り動かずに「一番近くにある服や下着」を手に取りたいだけ。
この世界に二人きりなら、服なんか必要ないのに。
彼女はあくびを噛みしめると、キーボードへ指を滑らせた。そのステップは実に軽やかな物で、全く戸惑いを見せない。みるみると、画面が文字で埋め尽くされていく。
私が小説を書こうと思ったら、きっといつまでも完成しないだろう。言葉も思いつかない。それでも、過去には詩を書いて彼女に渡したことがある。「もっと欲しい」と言われたけど、私は「済まぬ。もう無理」
ここ最近の英子は、起き抜けに小説を書き出す。寝てる間にアイディアが閃くそうで、すぐに書かないと忘れてしまうらしい。そう言えば、夕べも寝てる間、彼女は何かぶつぶつ独り言を呟いていた。聞き耳を立てると、「一撃。一撃で仕留めるわ」……寝言だった。
「まずは飯ね」と、私は台所へ向かった。
目玉焼きと、ベーコンを焼くか。それから、サラダと胡麻のドレッシングと……ちなみに、胡麻のドレッシングは私が適当に作った物。けど、彼女は死ぬほどに気に入ってくれている。このドレッシングを切らすと、絶対にサラダを食べてくれない。野菜嫌いではないはずなのに。
テーブルへ朝食を並べ、私は彼女の背中を眺めた。ああ、全く動く気配がない。いつものことだけど。
私は朝食をトレーに乗せて、彼女の隣に座った。すると彼女は、待ってましたと言わんばかりに「あーん」と口を開いた。
サラダを彼女の口へ放り込んだ。食べるのか書くのか……彼女は「同時にやれば時間の節約になる」と、これまた妙な理屈をのたまう。まさか、食べるのすら面倒臭いのか。ここ最近は、書いてるわけでもないのに口を開いて待ってる時がある。どれだけ物臭なのか。
口を開けて「次のサラダをプリーズ」とアピールする姿は雛のよう。どんどんサラダを放り込むと、彼女はレタスをこぼしながら「パン欲しい。マーマレードで」
一日中ほとんど家にいると言っても、自分が「女」であることを忘れて欲しくない。彼女は書き出すと止まらなくなるので、無理やりにでも風呂へ連れて行ったり、「トイレを我慢するな」と警告したり、とにかく目が離せない。考え事を始めれば、あっちへうろうろ、こっちへうろうろと……いつぞや、素っ裸でベランダへ出ようとしていたことがあった。勿論、全力で阻止した。
朝食を済ませると、私は彼女の髪を梳かした。それは綺麗な栗色で、艶艶としている。物凄く羨ましい。死ぬほどに妬ましい。
私は自分の髪の毛が嫌いだ。何をどうしても毛先がぴょんぴょんと跳ね上がり、むかついて仕方ない。朝はこいつとの格闘から入るのだが、貴重な時間を奪われて仕方ない。
どこで何を見たのか知らないが、彼女は私の髪を見る度、「ジャングルの奥地に生えてそうなあれだよね」などと戯れ言を抜かす。おまけに「躍動感が堪らない」とも。意味不明だ。
「今日も、涼子の髪は生きがいいのでした……と」
「もう。あなたの髪と交換して」
彼女は作家志望で、日頃から小説を書いては私に寄越し、感想を求める。決して悪くないと思うのだが、いまいち物語に入り込めない。雰囲気だけは十分にプロなのに。
彼女が現在執筆してるのは『女神の一撃』と呼ぶ作品で、これに一生を捧げると決めたそうだ。物語は典型的な復讐劇で、主人公は真っ赤なショートヘアを持つ「吉岡愛沙」だ。恋人を殺された愛沙が、ひたすら犯人捜しに奔走する。ありがちな物語、かも知れない。
愛沙の年齢設定は二十代後半とされている。私としては物凄く微妙な印象を受けるので、「何か、主人公の年齢設定が高い気がする。中学生とかじゃ駄目なの?」と言った。すると英子は、「その年頃だと、できることが限られちゃうじゃない。色々と面倒でしょ」
彼女は言った。「愛沙は涼子だ」
夢に私が現れるらしい。夢の中の私は犯罪者を追い回し、「町の掃除」に勤しむそうだ。
悪漢をぶちのめし、弱者に手を差し伸べる愛沙の姿は「女神」その物。現実の私より遙かに格好いい。私が戦う相手は、せいぜい変態止まりだ。それも、急所を蹴り上げて逃走するだけ。
彼女はコンテストにも応募してるようだが、全く芽が出る気配がない。ウェブサイトを立ち上げて公開しても、さっぱり読者が付かない。それでも、彼女は今日も……きっと明日も書き続ける。書かないと気が済まない。書かないと死ぬ病気らしい。
「はい。書き終えたから、今すぐ読んでみて」と、彼女は横にずれた。
私は早速、最新話を読んでみた。「そろそろ、犯人の姿があってもいいと思うけど。手がかりすら出てこない。だから退屈なのよ」
「うーん……涼子だったら、どうする?」
「犯人を偶然見つけて、ぐさりと一突き。拳銃で撃つとか。とにかく、派手にやらないと。地雷を踏ませるとかさ」
「うーん……」
「さ、書き終えたんだから、第三巻を探す仕事にスイッチ!」
彼女は検索サイトであらゆる情報を開いてみるが、唸るばかりだ。
「ほら。検索しても全然ヒットしないのよ。書店に問い合わせても駄目だし。諦めてさ、第三巻を飛ばして読んでみてよ。そしたら、涼子の感想を聞かせて」
「物語の内容はどうでもいいのよ。第三巻だけ抜けてるのが気になるだけなんだから」
「そんなこと言わないで。たった全五巻なんだから。ね」
いや、これは実質全四巻だ。実のところ、彼女は『黄金大戦』の内容が気になっているのでは。自分で読めばいいのに。
彼女は携帯ゲームを持ってベッドへ潜り込み、「休日だし。さっと読んでよ」と、私へ全て丸投げ。第五巻と第四巻を担当しなさい。一人で全部読まないと意味がない? それもそうね。
私もインターネットを使って第三巻を片っ端から探してみた。本当にどこも取り扱ってないようで、そもそも『黄金大戦』自体の情報が皆無に等しい。作者である「平岡真藤」を調べてみても、大した情報が得られない。二流作家なのだろうか。まさか、本があまりにも売れなくて首でも吊ったか……あるいは頭のおかしいファンに拉致されたか。だとしたら、よくある話……かも知れない。
出版社はどうだろうか。『黄金大戦』を出版していたのは「福天堂」と呼ばれる出版社で……驚いたことに倒産していた。まさか『黄金大戦』が原因では。
気は進まないが、仕方ないので『黄金大戦』を読むことにした。挿絵が多いと嬉しいけど、生憎と文字ばかり。
物語の主人公は「桐生ミミラ」と名乗る女子高生。やたらと乳房が大きく、日頃から親友の「江口好子」に乳房を揉まれまくっている。何なのよこれは。
第一巻のほとんどは桐生ミミラの人物像について描かれていた。彼女は正義感が強く、弱い物いじめが大嫌いらしい。そして、強くなるため、日頃から剣術をたしなむ。
私は第一巻を全力で斜め読みし、ぐったりしながら第二巻を手に取った。第二巻も大それた展開はなく、ミミラがほのぼのとした学園生活を送っている。でも、読み進めると段々と雲行きが怪しくなってきた。第二巻も数ページに一度、ミミラが唐突に好子に乳を揉まれる描写が挟まれている。おまけに、その揉み方が大胆になっている。
第一巻では「おっぱいタッチ」程度だった表現が「揉みしだく」や「ブラジャーの中に手を入れ」などと変移し、仕舞いに好子が「ミミラの貝を拝みたい」だの「菊を愛でたい」と言いだし、ますます「大戦」から遠ざかっている。何を描こうとしてる物語なのだ!
少しだけ気になるのが、よくデブ猫が現れてミミラにじゃれる場面。もしかしたら、この猫が不思議な手鏡でも渡すのかも知れない。勝手な想像だけど。
「どう? どんな感じ?」
「どう、も何もない。巨乳女子高生がひたすら乳を揉まれる話が続いてる」
「エロ小説だった!?」
「わかんないよ。わかんないけど、とにかく大戦は始まらない」
第二巻もミミラが乳を揉まれる学園生活で幕を閉じた。だが、第四巻……一体全体、何があったのだろうか。町は廃墟と化し、ミミラは正体不明の「何か」と死闘を繰り広げていた。登場人物も爆発的に増え、第三巻を読んでいない私はすっかり置いてけぼり。よく読んでみると正体不明の「何か」は正体不明ではなく、どこからか現れた侵略者のようだ。
もしかしたら第二巻までの「乳揉み」描写がお母さん読者から「子供が読んで真似するようになったから死ね」とか「旦那がこの小説のせいで仕事しなくなってしまった責任取れボケナス」などとくそみそにけちを付けられた平岡真藤が頭に来て全てを放棄する勢いで「じゃあ侵略者でも登場させるわ!」と言いだし突然と戦争を始めたのかも知れない。
とにかく、桐生ミミラは侵略者と戦っている。その辺の事情は第三巻で全て語られている……? ついに乳揉みから貝合わせか、などと期待した野郎読者にとっては、とんだカウンターパンチね。
こうなると、意地でも第三巻を読みたくなる。面白いかどうかは関係ない。読み始めてしまったのだから全部読まないと気が済まない。何が何でも手に入れてやる。
私はごろりと横になり、「見つけてやる」
見つけてやる 必ず
夢を見た。それは、おとぎ話の世界のような、物凄く不思議な夢だった。
竜の使者と、無敵の女神。優しい獣人と死を咲かす占い師。漆黒の処刑人に不屈の剣士、そして万物を裁く裁判官や不死身の魔道士など……私は彼らを従え、見慣れた町を飛び回っていた。
空を見上げると、多くの巨大な竜が優雅に羽ばたいていた。その中、ひときわ大きい三頭の竜が私に向かい、何かを語りかけたような気がした。それは物凄く優しい言葉のように響き、とにかく心地よかった。
夢を見た。それは、物凄く不思議な夢だったが、物凄く悲しい夢のようにも思えた。竜たちの言葉は、慰めの言葉だったかも知れない。
夢を見た。いや、それは、本当に夢だったのだろうか。
目を覚ますと、彼女が心配そうに私を見つめていた。
寝ながら泣いていたようだ。もしかしたら、変な小説を読んでしまったせいかも知れない。となると、その責任の一端は彼女にもあるはず。英子、責任を取りなさい。
私は彼女を抱きしめ、冗談交じりに「英子に泣かされた」と言った。すると彼女に「いつものことだね」と、笑われてしまった。
いつものこと、か。
そうね。いつもの、こと。
(続く)
こんにちは♪
KOHさんの書くこの小説ではいまのところ、
アクティブすぎる英子に惹かれるなぁ。
…にしても乳揉み小説からのまさかの展開とかwww
私も気になるぞ、その抜けてる三巻ww